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幸手で楽しむ「土用の丑の日」/埼玉県幸手市

子ども達が夏休みに入りいよいよ夏も本番ですね。
暑さで夏バテ気味のこの時期には、栄養豊富で精が出るといわれている鰻を食べると良いとされています。

2023年の「土用の丑の日」は7月30日(日)です。

地元の人に、お勧めの鰻屋を尋ねると、それぞれ違う店名があがります。
幸手市には美味しい鰻屋がたくさんあり、秘伝のタレは店によって味が全く違うので、好みが分かれるのも納得です。
今回は、土用の丑の日にちなみ、幸手市ふるさと納税返礼品協力事業者「義語家(ぎごや)」さんのおはなしです。

義を語る「田口清平」はどんな人だったのか?

義語家さんを語るのに、まず知っておきたいのが、屋号を義語家と名付けた「田口清平」という人物です。
「幸手宿こぼれ話」によると、田口清平は幸手領東大輪村(現鷲ノ宮町)名主田口家の長男として、天保3年(1932年)7月16日に生まれている。幕末から明治にかけて、幸手地方ではユニークに生き抜いた人物の一人である。との記載があります。

「ユニークに生き抜く」とは・・?

どんな人生を送ったのか気になったので、調べてみました。
諸説ありますので、本日の教科書は「幸手宿こぼれ話」にしました。

本日の教科書「幸手宿こぼれ話」著/小路精蔵

英才教育をしっかりと受け名実ともに成長した清平

「幸手宿こぼれ話」には、幕末の激動期に生まれ育ち、然も名主という特殊な立場の子弟として修練に励み、名主後継者として育生されたものと思われる。との記載があります。
若くして名跡を継ぎ、名主・戸長の経歴の地主の郡役所々長にて活躍したようです。特に利根川治水には数々の治績を残しています。

順風満帆の時期に部下の不始末が発覚!?

明治17年4月、部下が公金を費消するという不始末により惜しまれつつ群役所を辞めました。
また、この部下の自殺により、費消金は清平が立替えたとされています。
しかし、そのわずか三ヵ月後には宮内省に申付書を戴き、69歳で亡くなるまで宮内省職員として在籍しました。(「幸手宿こぼれ話」著/小路精蔵P19~22より抜粋)
引責辞任した清平、なぜすぐに宮内省職員になれたのでしょうか・・。

明治天皇と清平との御縁

明治天皇東北巡り(東北地方の民性視察)のため、明治9年6月2日に宮中を出発し、草加へ御一泊、翌6月3日には幸手宿旧本陣知久文造方へお泊りになられ6月4日には高須賀村(現幸手町)の利根堤防上の御野立所へお着きになられた。 ~略~
水理掛として利根川治水の歴史と終過を堂々と約1時間にわたり明治天皇へ奉上申上たそうである。(「幸手宿こぼれ話」著/小路精蔵P19~22より抜粋)

明治天皇が「清平はどうしているか?」と侍従に御下問

・明治天皇よりお言葉を賜った
・宮内省宮中の修身書とも云うべき「幼学綱要」全巻7冊を天皇より賜った

(「幸手宿こぼれ話」著/小路精蔵P19~22より抜粋)
云わば、一介の説明員としての奉上を契機に、明治天皇と清平の御縁が続いていきます。約1時間の奉上で距離の縮まり方・・、すごいです。

清平はプレゼン能力高めのコミュ強だった!?

明治天皇への堂々の奉上のエピソードや、利根川治水関係の数々の治績、その後の明治天皇からの御下問の件からみても、清平という人物は、名実ともに人々の心を魅了し動かすような求心力を持っていたようです。
約1時間の奉上がどのようなものだったのか、気になるところですね。

清平の妻きく「ばゝあ料理」幸手名物鰻屋を開業

清平は名主から戸長の時代は男盛りであったが、金遣いが荒くこれでは家が潰れてしまうと長男清平が分家した。という話があります。
清平の妻きくは経済的苦境を切り抜けるべく、明治20年に開通し久喜新道の角に「ばゝあ料理」幸手名物鰻屋を開業した。(「幸手宿こぼれ話」著/小路精蔵P19~22より抜粋)
清平が不祥事をおこした部下の費消金を立替えたのが、明治17年なので、その工面もあったのかもしれません。
この時、妻きくが開業した鰻屋は多くの人々に愛され大繁盛しました。

特別な日や自分へのご褒美にもピッタリ

明治気質の忠義を終生貫いた人

部下の不始末の引責辞任から三か月後、宮内省のお召しで猟場の盤守を命ぜられたことに、清平もいたく感激し、皇恩の有難さに感泣した。
清平は終生を通し皇恩を深く感じ鰻屋の屋号を義を語る、即ち「義語家」と名付けたと云われている。(「幸手宿こぼれ話」著/小路精蔵P19~22より抜粋)

歴史と伝統を守り続けている現在の義語家

明治時代に初代きくが開業してから、鰻料理の名店であり幸手名物として多くの人に愛され続けている「義語家」さん。
現在も久喜新道の角にあり、100余年継ぎ足し続けた秘伝のタレは甘すぎず、柔らかく蒸しあげてから手焼きする鰻とも相性抜群でとてもおいしいと評判です。
幸手駅から権現堂桜堤へ向かう途中にあるので、観光客の方も多く訪れるお店です。
幸手へお越しいただいた際には、ぜひ食べていただきたい歴史や伝統のつまった国産うなぎの蒲焼きですが、市外にお住まいで、幸手市に来ることができない人は、幸手市のふるさと納税の返礼品として受け取ることもできますよ。では、またー。

国産うなぎと秘伝のタレは絶品

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